目的ブラジル日系文学会は、日本語による書籍や雑誌を発行。さらに各種のコンクールを実施し、会員あるいは文学愛 好者の文学活動を支援し、日系社会の文学振興や普及に努めています。
活動内容
活動内容
歴史
ブラジル日系文学の略史
1966年、コロニア文学界の振興を図り、鈴木悌ーと武本由夫は多数の共鳴者を集合し、コロニア文学会を創立 する。創立と同時に文芸誌『コロニア文学』の刊行を決議する。創刊号と第2号を前山隆が編集し、第3号より31号まで武本由夫が担当する。第32号を醍醐 麻沙夫が担当し、これをもって廃刊となる。
コロ二ア文学会は文学界に新風をおくり、最盛期には700名内外の会員を獲得するに至り、その内容は日本の文芸批評家の注目するところとなった。
残念ながら、当時のブラジル経済は異常なインフレを起こし、そのあおりをくって1977年に廃刊のやむなきに至った。
『コロニア文学』の廃刊をいたく残念に思っていた武本由夫は、コロニア文学界を再興するべく、同志を集めて1979年に『コロニア詩文学』を創刊するに 至った。武本由夫は第10号を発行したときに病に倒れた。死を予感した武本由夫は、死の50日くらい前に、安良田済に『コロニア詩文学』の爾後を託した。 1983年1月21日に死去する。
コロニア詩文会を継承した安良田済は、創立者武本由夫のコロニアに残した文学的功績を永久に表彰するために1983年に、南米銀行の後援 (1984~1998)を得て「武本由夫文学賞」を設置した。本賞は年々成長していき、現在ではコロニア文学界の最も権威ある文学賞として認識されてい る。
「武本文学賞」発足当時は、小説、体験手記、詩、短歌、俳句、川柳の6部門の構成であった。のち随筆部門を加えて7部門となる。その後、体験手記は随筆 部門に併合され、6部門に戻る。1996年に翻訳部門が加入され7部門となる,今年、ハイカイポ語部門を加えたので、現在8部門のもとに運営され、第23 回目の作品募集中である。
安良田済は10年間コロニア詩文会を運営してきたが、私的事情から梅崎嘉明を後任者として推し、自らは相談役に回る。コロニア詩文会を継承した梅崎嘉明は、1999年2月運営委員会において協議のもとに、誌名を『ブラジル日系文学』と改称し今日に至る。
2003年3月30日、文学会を公式に登記する必要を生じ、会則を作成し、会名をアソシアソン クルツラール エ リテラリアニッケイ ブンガク ド ブラジルとして登記する。その折り、梅崎嘉明が会長に選出される。
会を正式に登記したことによって、第21、22回武本文学賞は宮坂国人基金とサンスイ商会より後援者として多大な金額の援助を受ける。
本文学会は『ブラジル日系文学』を年3号発行し全会員に送付している。
2005年3月20日、定期総会において、新しく役員選挙が行われた。12年間勤めた梅崎嘉明会長は退任し、選挙によって新会長に任命された武本阜夫が会長の席に就任した。
2005年から「日本祭り」に参加。このイヴェントは毎年7月にサンパウロ市内のイミグレンテス展示会会場で開催される。
2007年3月25日、第24回武本文学賞授賞式が行われた。実施に当っては宮坂国人財団とサンタンデル銀行 の援助を得て、日本語作品の7部門に加えてポルトガル語の2部門(ハイカイと自由詩)の入選者が表彰された。同日、第9回「日本祭り」の際に行われたポル トガル語のハイカイとタンカ・コンクールの入賞者に、トロフィーとメダルが授与されたが、これらの記念品はニッポ・ブラジル新聞の後援によるものである。
2007年3月25日の定期総会に於いて、武本阜夫現会長が再選され、さらに二年間続投することとなった。
2008年3月、第25回武本文学賞授賞式。従来の日本語作品7部門とポルトガル語作品2部門に、今回からポルトガル語のコントが加えられたが、本年度は日本移民百年の節目の年であることから、内容的にもそれと関わりのある作品が求められた。
2009年3月の定期総会に於いて、武本阜夫現会長が再選され、さらに二年間続投することとなった。
2011年3月27日の定期総会に於いて、武本阜夫氏に代わって選出された武本憲二氏が、向う2年間会長を務めることになった。武本阜夫氏は副会長に就任した。
2011年3月27日、第28回武本文学賞授賞式。今回も宮坂国人財団とサンタンデル銀行のかけがえのない後援を得て実施されたが、これはひとえに両団体 が文化を通してこそ異民族間の理解と交流が深まることを周知しているからであろう。同日、第3回増田恆河コンクール入選作品の授賞式が行われた。コンクー ルは2010年7月、第13回「日本祭り」の際に俳句・短歌(日本語)とハイカイの少年・成人(ポルトガル語)の4部門に亘って行われたものである。
2012年11月、日本語で「ぶらじる日系随筆選集」第一巻が出版された。この本は武本文学賞で随筆部門に入賞した随筆を抜粋したものである。
2013年3月3日、通常総会においてブラジル日系文学会、会長に武本憲二氏が2年の任期(2013年、2014年)をもって選出された。
同年、11部門、そのうちの4部門はポルトガル語による武本文学賞が発表された。日本語からポルトガル語への翻訳には作家、豊島与志雄の日本の民話をもとにした「天狗笑」が選ばれた。当部門は日本語学習者の勉学奨励のため設けられた。
2013年10月、日本語による「ブラジル文学翻訳選集」第一巻が発刊された。この本は武本文学賞の中のブラジル人作家の短編小説を日本語に翻訳する部門で受賞した作品を選抜したものである。
2014年5月6日、2007年から2012年まで日系文学会、会長を務めた武本阜夫氏が76歳で死去された。
2014年12月2日から21日まで、日伯両語の「合同文藝展示会」が移民資料館、サイトウ・ヒロシ広間(リ バルダーデ区サン・ジョアキン街、381)で宮坂国人基金後援、移民資料館協賛のもとで開催された。厚さ1ミリ、縦横1メ-トルの強いポリスチレン板を バックに桜とイッペーの花が描かれた42枚のパネル(ただし、ハイカイ以外は書かれた詩や文が目立つように色をうすくした)が展示された。7枚のパネルは 日伯文学の歴史が書かれ、7枚がハイカイの説明、4枚が詩、11枚が俳句、5枚が川柳、7枚が短歌、そして、1枚には日系文学の関係者やそれまで催された イベントの写真が掲載された。同期間中、「合同文藝展示会 (俳句、短歌、詩、ハイカイ)」が発刊された。展示会に出されたすべての作品が収められた横 16センチ縦21センチ、164ページの本で、発行部数は1000冊だった。
2014年12月14日の日系文学の忘年会には99歳を迎えられた安良田済氏に記念品が送られた。
2015年3月1日、通常総会においてブラジル日系文学会、会長に武本憲二氏が2年の任期(20135年、2016年)をもって選出された。
日伯両語の「合同文藝展示会」は好評を得て、ギリェルメ・デ・アルメイダ館(サンパウロ州文化局)と日系文学共催のもとで、2015年3月24日から5月22日までギリェルメ・デ・アルメイダ館において展示会が催された。
ブラジル日系文学会は、日本語による書籍や雑誌を発行。さらに各種のコンクールを実施し、会員あるいは文学愛好者の文学活動を支援し、日系社会の文学振興や普及に努めています。
1966年、コロニア文学界の振興を図り、鈴木悌ーと武本由夫は多数の共鳴者を集合し、コロニア文学会を創立 する。創立と同時に文芸誌『コロニア文学』の刊行を決議する。創刊号と第2号を前山隆が編集し、第3号より31号まで武本由夫が担当する。第32号を醍醐 麻沙夫が担当し、これをもって廃刊となる。
コロ二ア文学会は文学界に新風をおくり、最盛期には700名内外の会員を獲得するに至り、その内容は日本の文芸批評家の注目するところとなった。
残念ながら、当時のブラジル経済は異常なインフレを起こし、そのあおりをくって1977年に廃刊のやむなきに至った。
『コロニア文学』の廃刊をいたく残念に思っていた武本由夫は、コロニア文学界を再興するべく、同志を集めて1979年に『コロニア詩文学』を創刊するに 至った。武本由夫は第10号を発行したときに病に倒れた。死を予感した武本由夫は、死の50日くらい前に、安良田済に『コロニア詩文学』の爾後を託した。 1983年1月21日に死去する。
コロニア詩文会を継承した安良田済は、創立者武本由夫のコロニアに残した文学的功績を永久に表彰するために1983年に、南米銀行の後援 (1984~1998)を得て「武本由夫文学賞」を設置した。本賞は年々成長していき、現在ではコロニア文学界の最も権威ある文学賞として認識されてい る。
「武本文学賞」発足当時は、小説、体験手記、詩、短歌、俳句、川柳の6部門の構成であった。のち随筆部門を加えて7部門となる。その後、体験手記は随筆 部門に併合され、6部門に戻る。1996年に翻訳部門が加入され7部門となる,今年、ハイカイポ語部門を加えたので、現在8部門のもとに運営され、第23 回目の作品募集中である。
安良田済は10年間コロニア詩文会を運営してきたが、私的事情から梅崎嘉明を後任者として推し、自らは相談役に回る。コロニア詩文会を継承した梅崎嘉明は、1999年2月運営委員会において協議のもとに、誌名を『ブラジル日系文学』と改称し今日に至る。
2003年3月30日、文学会を公式に登記する必要を生じ、会則を作成し、会名をアソシアソン クルツラール エ リテラリアニッケイ ブンガク ド ブラジルとして登記する。その折り、梅崎嘉明が会長に選出される。
会を正式に登記したことによって、第21、22回武本文学賞は宮坂国人基金とサンスイ商会より後援者として多大な金額の援助を受ける。
本文学会は『ブラジル日系文学』を年3号発行し全会員に送付している。
2005年3月20日、定期総会において、新しく役員選挙が行われた。12年間勤めた梅崎嘉明会長は退任し、選挙によって新会長に任命された武本阜夫が会長の席に就任した。
2005年から「日本祭り」に参加。このイヴェントは毎年7月にサンパウロ市内のイミグレンテス展示会会場で開催される。
2007年3月25日、第24回武本文学賞授賞式が行われた。実施に当っては宮坂国人財団とサンタンデル銀行 の援助を得て、日本語作品の7部門に加えてポルトガル語の2部門(ハイカイと自由詩)の入選者が表彰された。同日、第9回「日本祭り」の際に行われたポル トガル語のハイカイとタンカ・コンクールの入賞者に、トロフィーとメダルが授与されたが、これらの記念品はニッポ・ブラジル新聞の後援によるものである。
2007年3月25日の定期総会に於いて、武本阜夫現会長が再選され、さらに二年間続投することとなった。
2008年3月、第25回武本文学賞授賞式。従来の日本語作品7部門とポルトガル語作品2部門に、今回からポルトガル語のコントが加えられたが、本年度は日本移民百年の節目の年であることから、内容的にもそれと関わりのある作品が求められた。
2009年3月の定期総会に於いて、武本阜夫現会長が再選され、さらに二年間続投することとなった。
2011年3月27日の定期総会に於いて、武本阜夫氏に代わって選出された武本憲二氏が、向う2年間会長を務めることになった。武本阜夫氏は副会長に就任した。
2011年3月27日、第28回武本文学賞授賞式。今回も宮坂国人財団とサンタンデル銀行のかけがえのない後援を得て実施されたが、これはひとえに両団体 が文化を通してこそ異民族間の理解と交流が深まることを周知しているからであろう。同日、第3回増田恆河コンクール入選作品の授賞式が行われた。コンクー ルは2010年7月、第13回「日本祭り」の際に俳句・短歌(日本語)とハイカイの少年・成人(ポルトガル語)の4部門に亘って行われたものである。
2012年11月、日本語で「ぶらじる日系随筆選集」第一巻が出版された。この本は武本文学賞で随筆部門に入賞した随筆を抜粋したものである。
2013年3月3日、通常総会においてブラジル日系文学会、会長に武本憲二氏が2年の任期(2013年、2014年)をもって選出された。
同年、11部門、そのうちの4部門はポルトガル語による武本文学賞が発表された。日本語からポルトガル語への翻訳には作家、豊島与志雄の日本の民話をもとにした「天狗笑」が選ばれた。当部門は日本語学習者の勉学奨励のため設けられた。
2013年10月、日本語による「ブラジル文学翻訳選集」第一巻が発刊された。この本は武本文学賞の中のブラジル人作家の短編小説を日本語に翻訳する部門で受賞した作品を選抜したものである。
2014年5月6日、2007年から2012年まで日系文学会、会長を務めた武本阜夫氏が76歳で死去された。
2014年12月2日から21日まで、日伯両語の「合同文藝展示会」が移民資料館、サイトウ・ヒロシ広間(リ バルダーデ区サン・ジョアキン街、381)で宮坂国人基金後援、移民資料館協賛のもとで開催された。厚さ1ミリ、縦横1メ-トルの強いポリスチレン板を バックに桜とイッペーの花が描かれた42枚のパネル(ただし、ハイカイ以外は書かれた詩や文が目立つように色をうすくした)が展示された。7枚のパネルは 日伯文学の歴史が書かれ、7枚がハイカイの説明、4枚が詩、11枚が俳句、5枚が川柳、7枚が短歌、そして、1枚には日系文学の関係者やそれまで催された イベントの写真が掲載された。同期間中、「合同文藝展示会 (俳句、短歌、詩、ハイカイ)」が発刊された。展示会に出されたすべての作品が収められた横 16センチ縦21センチ、164ページの本で、発行部数は1000冊だった。
2014年12月14日の日系文学の忘年会には99歳を迎えられた安良田済氏に記念品が送られた。
2015年3月1日、通常総会においてブラジル日系文学会、会長に武本憲二氏が2年の任期(20135年、2016年)をもって選出された。
日伯両語の「合同文藝展示会」は好評を得て、ギリェルメ・デ・アルメイダ館(サンパウロ州文化局)と日系文学共催のもとで、2015年3月24日から5月22日までギリェルメ・デ・アルメイダ館において展示会が催された。
ブラジル日系文学会は、日本語による書籍や雑誌を発行。さらに各種のコンクールを実施し、会員あるいは文学愛好者の文学活動を支援し、日系社会の文学振興や普及に努めています。
連絡先
ブラジル日系文学会
nikkeisecretaria@gmail.com
nikkeisecretaria@gmail.com